麻葉亭

たまに立ち止まるかもしれないけれど、前を向いて歩いていきたい

大好きな本

星野道夫さんの「旅をする木」を読みました。
短編が集まった文庫本ですが、その中の1つの「旅をする木」。ほんの短い文章なのに、読んだ後いつまでも心に残る短編です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。さまざまな偶然をへて川沿いの森に根づいたトウヒの種子は、いつしか一本の大木に成長する。長い歳月の中で、川の浸食は少しずつ森を削ってゆき、やがてその木が川岸に立つ時代がやって来る。ある春の雪解けの洪水にさらわれたトウヒの大木は、ユーコン川を旅し、ついにはベーリング海へと運ばれてゆく。そして北極海流は、アラスカ内陸部の森で生まれたトウヒの木を遠い北のツンドラ地帯の海岸へとたどり着かせるのである。打ち上げられた流木は木のないツンドラの世界でひとつのランドマークとなり、一匹のキツネがテリトリーの匂いをつける場所となった。冬のある日、キツネの足跡を追ってきた一人のエスキモーはそこにワナを仕掛けるのだ・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

淡々と語られているトウヒの旅。
鈍感な私がハッとさせられたのは解説の池澤直樹さんの言葉。


ーーーーー

つまりトウヒにとって、枝を伸ばして葉を繁らせ、次の世代のために種子を落とすという、普通の意味での人生が終わった後も、役割はまだまだ続くのだ。死は死ではなかった。最後は薪としてストーブの中で熱と煙になるのだが、その先も、形を失って空に昇った先までも、読むものは想像できる。トウヒを成していた元素は大気の中を循環し、やがていつかまた別の生物の体内に取り込まれるだろう。

ーーーーー

ちょっと自信をなくして落ち込んでいる今の私には、マクロレンズからいきなり広角レンズに振られたようなインパクトです。深い意味。小さな隅をつついて悩んでいる自分がちっぽけ過ぎると感じます…。